浄土真宗の教義に沿った葬儀

浄土真宗45万円(税別)
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浄土真宗200万円(税別)
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真宗大谷派【野卓】祭壇
真宗大谷派【野卓】祭壇

浄土真宗における葬儀

葬儀における荘厳や作法は、その宗旨の教えと密接な関係も持っています。親鸞聖人を宗祖と仰ぐ浄土真宗においては、すべての人が、阿弥陀如来の慈しみの世界(浄土)に摂め取られ、仏となる教えであります。これが教えの基本であります。そのため、死者を迷いの存在として、引導を渡すようなことはいたしません。また霊(迷いの存在)という言葉を用いず、清め塩や、死を忌み嫌うことからくるさまざまな迷信を排除した儀式が執行されます。。そして読経は、遺体に対してではなく、常の本尊(阿弥陀如来絵像・南無阿弥陀仏)に対して行います。総じて葬儀とは、仏徳を讃嘆し、故人を偲びつつ、報謝のまことをささげる儀式であります。

浄土真宗本願寺派 宗門葬より

当社では浄土真宗の教義に沿った葬儀式をお手伝いしております。

近親者や友人、知人など苦楽を共にした人々が仏恩報謝の懇念を深め、法義相続する場としていきたいと願っております。

浄土真宗寺院での葬儀、又真宗の教義を考えての葬儀をお考えの方、家族葬・一般葬・社葬どんなことでもご相談ください。 

即得往生

即得往生ついて』1.浄土と往生の基本的な概念
  浄土に往生するということについて、語義を宗祖のお言葉に確かめると
 「往生というは浄土にうまるというなり」(『尊号真像銘文』p521)
とあるゆえ、浄土に往生するとは浄土に生まれることである。
 そして浄土というのは涅槃界のことであり、
 「涅槃界というは、無明のまどいをひるがえして、無上涅槃のさとりをひらくなり」(『唯信鈔文意』p553)
 とあるゆえ、浄土に往生するとは、涅槃界に生まれ(至り)て無上涅槃のさとりをひらく、すなわち仏になることである。2.往生はいつ決まるか
  そこで問題になるのは、「浄土への往生はいつ決まるのか」ということである。というのは宗祖の在世当時、法然聖人の教えによって念仏申すものは多かったが、浄土に生まれることがいつ決定するのかという問題に多くの浄土願生者が惑いや不安を抱えていた。  この重大な問題について、宗祖は現生正定聚説によって答えられた。そしてそのいわれを大経十八願成就文の
「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転」  
 の経文の上に確かめられたのである。すなわち、名号を聞信する信心歓喜の一念において「即得往生 住不退転」で、現生において不退転に住するとされた。不退転に住するとは正定聚に住することでもあるゆえ、信心獲得の時に正定聚に住するとされたのである。これを宗祖の「現生正定聚説」といいならわしている。
 しかしながら、十八願成就文の
 「即得往生 住不退転(すなわち往生することをえて、不退転に住すればなり)」(岩波文庫『浄土三部経』p186)
 という経文は、即得往生の語句の後に住不退転の文言があるので、文の当面から読むと、「死して浄土に往生してから不退転に住す」と解される。実際、宗祖までの浄土教家はそう読んできたのである。
 ところが宗祖は「即得往生 住不退転」に対しては独自な釈義をほどこされたのである。『一念多念文意』に宗祖は
  「即得往生というは、即は、すなわちという、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即は、つくという。そのくらいにさだまりつくということばなり。得は、うべきことをえたりという。真実信心をうれば(乃至)、すなわち、とき・日をもへだてず、正定聚のくらいにつきさだまるを、往生をうとはのたまえるなり」(p535)
   とか、
「すなわち往生すとのたまえるは、正定聚のくらいにさだまるを、不退転に住すとはのたまえるなり」(p536)
  とか、また『唯信鈔文意』では
 「即得往生は、信心をうればすなわち往生すという。すなわち往生すというは、不退転に住するをいう。不退転に住すというは、すなわち正定聚のくらいにさだまるとのたまう御みのりなり。これを即得往生とはもうすなり」(p549)
 と釈されている。この釈義によると〈即得往生 住不退転〉の経文は、即得往生と住不退転とを時間的な前後に切り離して読まず、同時・同意の内容と見られた。すなわち信心獲得によって即得往生で、即座に往生が定まり得る。それがそのまま不退転に住することなのだと、読まれたのである。
 すなわち「即得往生と住不退転とは同時・同意のことと読みなさい」と、私たちに教えておられるのである。こう釈された経証を通して宗祖は、本願を信じる一念に現生においてかならず往生が定まることを示されたのである。

浄土真宗の葬儀なら当社へ
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